ちた柿なんか、食いたくねえのだ。」
青年は陰鬱に堪えかねた。
☆
さちよは、ふたたび汽車に乗った。須々木乙彦のことが新聞に出て、さちよもその情婦として写真まで掲載され、とうとう故郷の伯父が上京し、警察のものが中にはいり、さちよは伯父と一緒に帰郷しなければならなくなった。謂わば、廃残の身である。三年ぶりに見る、ふるさとの山川が、骨身に徹する思いであった。
「ねえ、伯父さん、おねがい。あたしは、これからおとなしくするんだから、おとなしくしなければならないのだから、あたしをあまり叱らないでね。まちのお友達とも、誰とも、顔を合せたくないの。あたしを、どこかへ、かくして、ね。あたし、なんぼでも、おとなしくしているから。」
十二、三歳のむすめのように、さちよは汽車の中で、繰りかえし繰りかえし懇願した。親戚の間で、この伯父だけは、さちよを何かと不憫《ふびん》がっていた。伯父は、承諾したのである。故郷のまちの二つ手前の駅で、伯父とさちよは、こっそり下車した。その山間の小駅から、くねくね曲った山路を馬車にゆられて、約二十分、谷間の温泉場に到着した。
「いいか。当分は、ここにいろ。おれは、もう何も言わぬ。うちの奴らには、おれから、いいように言って置く。おまえも、もう、来年は、はたちだ。ここでゆっくり湯治《とうじ》しながら、よくよく将来のことを考えてみるがいい。おまえは、おまえの祖先のことを思ってみたことがあるか。おれの家とは、較べものにならぬほど立派な家柄である。おまえがもし軽はずみなことでもして呉れたなら、高野の家は、それっきり断絶だ。高野の血を受け継いで生きているのは、いいか、おまえひとりだ。家系は、これは、大事にしなければいけないものだ。いまにおまえにも、いろいろあきらめが出て来て、もっと謙遜《けんそん》になったとき、家系というものが、どんなに生きることへの張りあいになるか、きっとわかる。高野の家を興《おこ》そうじゃないか。自重しよう。これは、おれからのお願いだ。また、おまえの貴い義務でもないのか。多くは無いが、おまえが一家を創生するだけの、それくらいの財産は、おれのうちで、ちゃんと保管してあります。東京での二年間のことは、これからのおまえの生涯に、かえって薬になるかも知れぬ。過ぎ去ったことは、忘れろ。そういっても、無理かも知れぬが、しかし人間は、何か
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