奇妙な、何か、感じませんか?」
 青年は、顔をあからめた。
「それごらん。」助七は、下唇を突き出し、にやと笑った。「やっぱりそうだ。だけど、あなたは、まだいい。たった一日だ。おれは、かれこれ、一年になります。三百六十五日。そうだ。あなたの三百六十五倍も、おれはあの女に苦しめられて来たのです。いや、あの女には、罪はない。それは、あのひとの知らないことだ。罪は、おれの下劣な血の中に在る。笑って呉《く》れ。おれは、あの女に勝ちたい。あの人の肉体を、完全に、欲しい。それだけなんだ。おれは、あの人に、ずいぶんひどく軽蔑されて来ました。憎悪されて来た。けれども、おれには、おれの、念願があるのだ。いまに、おれは、あの人に、おれの子供を生ませてやります。玉のような女の子を、生ませてやります。いかがです。復讐なんかじゃ、ないんだぜ。そんなけちなことは、考えていない。そいつは、おれの愛情だ。それこそ愛の最高の表現です。ああ、そのことを思うだけでも、胸が裂ける。狂うようになってしまいます。わかるかね。われわれ賤民のいうことが。」ねちねち言っているうちに、唇の色も変り、口角には白い泡がたまって、兇悪な顔にさえ見えて来た。「こんどの須々木乙彦とのことは、ゆるす。いちどだけは、ゆるす。おれは、いま、ずいぶんばかにされた立場に在る。おれにだって、それは、わかっています。はらわたが煮えくりかえるようだってのは、これは、まさしく実感だね。けれどもおれは、おれを軽蔑する女を、そんな虚傲《きょごう》の女を、たまらなく好きなんだ。蝶々のように美しい。因果だね。うんと虚傲になるがいい。どうです、これからも、あの女と、遊んでやって呉れませんか。それは、おれから、たのむのだ。卑屈からじゃない。おれは、もともと高尚な人間を、好きなんだ。讃美する。君は、とてもいい。素晴らしい。皮肉でも、いやみでも、なんでもない。君みたいないい人と、おとなしく遊んで居れば、だいじょうぶ、あいつは、もっと、か弱く、美しくなる。そいつは、たしかだ。」たらとよだれが、テエブルのうえに落ちて、助七あわててそれを掌で拭き消し、「あいつを、美しくして下さい。おれの、とても手のとどかないような素晴らしい女にして下さい。ね、たのむ。あいつには、あなたが、絶対に必要なんだ。おれの直感にくるいはない。畜生め。おれにだって、誇があらあ。おれは、地べたに落
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