は、笑わせやがる。旦那、間が抜けて見えますぜ。」
「すべて、だめだ。」
「口の悪いのは、私の親切さ。突飛な慾は起さぬがようござんす。それでは、ごめんこうむります。」まじめに言って一礼した。
「お送りする。」
 先生は、よろよろと立ち上った。私のほうを見て、悲しそうに微笑《ほほえ》んで、
「君、手帖に書いて置いてくれ給え。趣味の古代論者、多忙の生活人に叱咤《しった》せらる。そもそも南方の強か、北方の強か。」
 酒の酔いと、それから落胆のために、足もとがあぶなっかしく見えた。見世物の大将を送って部屋から出られて、たちまち、ガラガラドシンの大音響、見事に階段を踏みはずしたのである。腰部にかなりの打撲傷を作った。私はその翌《あく》る日、信州の温泉地に向って旅立ったが、先生はひとり天保館に居残り、傷養生のため三週間ほど湯治《とうじ》をなさった。持参の金子は、ほとんどその湯治代になってしまった模様であった。
 以上は、先生の山椒魚事件の顛末《てんまつ》であるが、こんなばかばかしい失敗は、先生に於いてもあまり例の無い事であって、山椒魚の毒気にやられたものと私は単純に解したいのであるが、「趣味の古代論
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