けて出て行った。
 私は部屋で先生と黙って酒をくみかわしていた。あまりの緊張にお互い不機嫌になり、そっぽを向きたいような気持で、黙ってただお酒ばかり飲んでいたのである。襖があいて実直そうな小柄の四十男が、腰をかがめてはいって来た。木戸で声をからして叫んでいた男である。
「君、どうぞ、君、どうぞ。」先生は立って行って、その男の肩に手を掛け、むりやり火燵にはいらせ、「まあ一つ飲み給え。遠慮は要《い》りません。さあ。」
「はあ。」男は苦笑して、「こんな恰好《かっこう》で、ごめん下さい。」見ると、木戸にいる時と同様、紺《こん》の股引《ももひき》にジャケツという風采《ふうさい》であった。
「なには? あの、店のほうは?」私は気がかりになったので尋ねた。
「ちょっといま、休ませて来ました。」ドンジャンの鐘太鼓《かねたいこ》も聞えず、物売りの声と参詣人の下駄の足音だけが風の音にまじって幽《かす》かに聞える。
「君は大将でしょうね。見せ物の大将に違いないでしょうね。」先生は、何事も意に介さぬという鷹揚《おうよう》な態度で、その大将にお酌をなされた。
「は、いや、」大将は、左手で盃を口に運びながら、右手
前へ 次へ
全30ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング