が、ことにこの友人が、相手をいらいらさせる特種の技倆を持つてゐるので、彼はことにも好きになれないのださうである。彼がでもこの友人を、けふ訪問したのは、まづ手近なところから彼の歡喜をわけてやらうといふ心からにちがひない。この男は、いま、幸福の豫感にぬくぬくと温まつてゐるらしいが、そんなときには、人は、どこやら慈悲深くなるものらしい。洋畫家は在宅してゐた。彼は、この洋畫家と對座して、開口一番、彼の小説のことを話して聞かせた。おれはかういふ小説を書きたいと思つてゐる、とだいたいのプランを語つて、うまく行けば賣れるかも知れないよ、書きだしはこんな工合ひだ、と彼はたつたいま書いて來た五六行の文章を、頬をあからめながらひくく言ひだしたのである。彼は、いつでも自分の文章をすべて暗記してゐるのださうである。洋畫家は、れいの眉をふるはせつつ、それはいいと吃るやうにして言つた。それだけでたくさんなのに、要らないことをせかせか、つぎからつぎとしやべりはじめた。虚無主義者の神への揶揄であるとか、小人の英雄への反抗であるとか、それから、彼にはいまもつてなんのことやら譯がわからぬのであるが、觀念の幾何學的構成であ
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