てその批評を、ちらちらはしり讀みするのであつた。批評は紙面のひだりの隅に小さく組まれてゐた。
 ――この小説は徹頭徹尾、觀念的である。肉體のある人物がひとりとして描かれてゐない。すべて、すり硝子越しに見えるゆがんだ影法師である。殊に主人公の思ひあがつた奇々怪々の言動は、落丁の多いエンサイクロペヂアと全く似てゐる。この小説の主人公は、あしたにはゲエテを氣取り、ゆふべにはクライストを唯一の教師とし、世界中のあらゆる文豪のエツセンスを持つてゐるのださうで、その少年時代にひとめ見た少女を死ぬほどしたひ、青年時代にふたたびその少女とめぐり逢ひ、げろの出るほど嫌惡するのであるが、これはいづれバイロン卿あたりの飜案であらう。しかも稚拙な直譯である。だいいち作者は、ゲエテをもクライストをもただ型としての概念でだけ了解してゐるやうである。作者は、フアウストの一頁も、ペンテズイレエアの一幕も、おそらくは、讀んだことがないのではあるまいか。失禮。ことにこの小説の末尾には、毛をむしられた鶴のばさばさした羽ばたきの音を描冩してゐるのであるが、作者は或ひはこの描冩に依つて、讀者に完璧の印象を與へ、傑作の眩惑を感じ
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