バイロンは十八歳で處女詩集を出版してゐる。シルレルもまた十八歳、「群盜」に筆を染めた。ダンテは九歳にして「新生」の腹案を得たのである。彼もまた。小學校のときからその文章をうたはれ、いまは智識ある異國人にさへ若干の頭腦を認められてゐる彼もまた。家の前庭のおほきい栗の木のしたにテエブルと椅子を持ちだし、こつこつと長編小説を書きはじめた。彼のこのやうなしぐさは、自然である。それについては諸君にも心あたりがないとは言はせぬ。題を「鶴」とした。天才の誕生からその悲劇的な末路にいたるまでの長編小説であつた。彼は、このやうにおのれの運命をおのれの作品で豫言することが好きであつた。書きだしには苦勞をした。かう書いた。――男がゐた。四つのとき、彼の心のなかに野性の鶴が巣くつた。鶴は熱狂的に高慢であつた。云々。暑中休暇がをはつて、十月のなかば、みぞれの降る夜、やうやく脱稿した。すぐまちの印刷所へ持つて行つた。父は、彼の要求どほりに默つて二百圓送つてよこした。彼はその書留を受けとつたとき、やはり父の底意地のわるさを憎んだ。叱るなら叱るでいい、太腹らしく默つて送つて寄こしたのが氣にくはなかつた。十二月のをはり
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