、あいているお部屋の一つ位はあるにきまっている。
「僕の家は、あんな具合に子供が大勢で、うるさくて、とても何も出来やしないし、それに来客があったら困るし、ちょっと知合いの家がありますから、そこへ行って仕事をやってみましょう。」
 こんな用事でも口実にしなければ、もう、あのひとと逢うことが出来ないかも知れぬ。
 私は勇気を出して、そのお宅の呼鈴を押した。女中が出て来た。あのひとは、いらっしゃらないという。
「お芝居ですか?」
「ええ。」
 私は嘘《うそ》をついた。いや、やっぱり、嘘ではない。私にとって、現実の事を言ったのだ。
「それならすぐお帰りになります。先刻、こちらの叔父さんに逢いまして、芝居に引っ張り出したけど、途中で逃げてしまったとおっしゃって、笑っておられましたから。」
 女中は、私をちかしい者のように思ったらしく、笑って、どうぞと言った。
 私たちは、そのひとの居間にとおされた。正面の壁に、若い男の写真が飾られていた。墓場の無い人って、哀しいわね。私はとっさに了解した。
「ご主人ですね?」
「ええ、まだ南方からお帰りになりませんの。もう七年、ご消息が無いんですって。」
 その
前へ 次へ
全10ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング