とに、しかし、笑っているそのお前も、私にとっては夢と同じさ、と言ったら、そのひとは、どんな顔をするであろうか。
 私は、一日八時間ずつ眠って夢の中で成長し、老いて来たのだ。つまり私は、所謂《いわゆる》この世の現実で無い、別の世界の現実の中でも育って来た男なのである。
 私にはこの世の中の、どこにもいない親友がいる。しかもその親友は生きている。また私には、この世のどこにもいない妻がいる。しかもその妻は、言葉も肉体も持って、生きている。
 私は眼が覚めて、顔を洗いながら、その妻の匂いを身近に感ずる事が出来る。そうして、夜寝る時には、またその妻に逢《あ》える楽しい期待を持っているのである。
「しばらく逢わなかったけど、どうしたの?」
「桜桃《おうとう》を取りに行っていたの。」
「冬でも桜桃があるの?」
「スウィス。」
「そう。」
 食慾も、またあの性慾とやらも、何も無い涼しい恋の会話が続いて、夢で、以前に何度も見た事のある、しかし、地球の上には絶対に無い湖のほとりの青草原に私たち夫婦は寝ころぶ。
「くやしいでしょうね。」
「馬鹿だ。みな馬鹿ばかりだ。」
 私は涙を流す。
 そのとき、眼が覚め
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