竹さんが部屋の前の廊下を通って、ちょっと僕の方を見たので、僕はすかさず右手で小さく、おいでおいでをした。竹さんは軽く首肯《うなず》いて、すぐに部屋へはいって来た。
「何か御用?」と真面目《まじめ》に尋ねる。
僕は脚の運動をしながら、
「枕元《まくらもと》、枕元。」と小声で言った。
竹さんは枕元の回覧板を見て、手に取り上げ、ざっと黙読してから、
「これ、貸してや。」と落ちついた口調で言ってその回覧板を小脇《こわき》にはさんだ。
「あやまちを改むるに、はばかる事なかれだ。早いほうがいい。」
竹さんは何もかも心得顔に、幽かに首肯き、それから枕元の窓のほうに行って、黙って窓の外の景色を眺《なが》めている様子である。
しばらくして、窓の外に向い、
「源さん、御苦労さまやなあ。」と少しも飾らぬ自然の口調で呟《つぶや》いた。窓の下で、小使いの源さんという老人が、二、三日前から草むしりをはじめているのだ。
「お盆すぎにな、」と源さんは窓の下で答える。「いちどむしったのに、またこのように生えて来る。」
僕は、竹さんの「御苦労さまやなあ」という声の響きに唸《うな》るほど、感心していた。回覧板の事
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