い。ここは、そちらの先生にでもまかせなさい。」
「ひばりに、ですか?」かっぽれは大いに不満の様子である。「失礼ながら、ひばりには荷が重すぎますぜ。お隣りの奴《やつ》らとは、前々からの行きがかりもあるんだ。今にはじまった事じゃねえのです。パイパンと言われて、黙って引っこんで居られるわけのものじゃないんだ。自由と束縛、というわけのものなんだ。自由と束縛、君子豹変《くんしひょうへん》ということにもなるんだ。あいつらには、キリストの精神がまるでわかってやしねえ。場合に依っては、おれの腕の立つところを見せてやらなくちゃいけねえのだ。ひばりには、無理ですぜ。」
「僕が行って来ます。」僕はベッドから降りて、するりとかっぽれの前を通り抜け、同時に、かっぽれから回覧板を取り上げて、部屋を出た。
「白鳥の間」では、「桜の間」の返事を待ちかねていた様子であった。僕がはいって行ったら、八人の塾生《じゅくせい》がみんなどやどやと寄って来て、
「どうだい、痛快な提案だろう?」
「桜の間の色男たちは弱ったろう。」
「まさか、裏切りやしないだろうな。」
「塾生みんな結束して、場長に孔雀の追放を要求するんだ。あんな孫悟空に、選挙権なんかもったいない。」
 などと、口々に言って、ひどくはしゃいでいる。みんな無邪気な、いたずらっ児《こ》のように見えた。
「僕にやらせてくれませんか。」と僕は誰《だれ》よりも大きい声を出してそう言った。
 一時、ひっそりしたが、すぐにまた騒ぎ出した。
「出しゃばるな、出しゃばるな。」
「ひばりは、妥協の使者か。」
「桜の間は緊張が足りないぞ。いまは日本が大事な時だぞ。」
「四等国に落ちたのも知らないで、べっぴんの顔を拝んでよだれを流しているんじゃねえか。」
「なんだい、出し抜けに、何をやらせてくれと言うんだい。」
「今晩、就寝の時間までに、」と僕は、背伸びして叫んだ。「お知らせしますから、もしその僕の処置がみなさんの気に入らなかったら、その時には、みなさんの提案にしたがいます。」
 又ひっそりとなった。

     3

「君は、僕たちの提案に反対なのか。」と、しばらくして、青大将という眼《め》つきの凄《すご》い三十男が僕に尋ねた。
「大賛成です。それに就いて僕に、とっても面白《おもしろ》い計画があるんです。それを、やらせて下さい。お願いします。」
 みんな少し、気抜けがしたようだった。
「よろしいですね。ありがとう。この回覧板は、晩までお借り致します。」僕は素早く部屋を出た。これでいいのだ。むずかしい事は無いんだ。あとは竹さんにたのめばいい。
 部屋へ帰って来たら、かっぽれは、
「だめだなあ、ひばりは。おれは、廊下へ出て聞いていたんだ。あんな事じゃ、なんにもならんじゃねえか。キリスト精神と君子豹変のわけでも、どんと一発言ってやればよかったんだ。自由と束縛! と言ってやってもいいんだ。やつら、道理を知らねえのだから、すじみちの立った事を言ってやるのが一ばんなのだ。自由思想は空気と鳩《はと》だ、となぜ言ってやらねえのかな。」としきりに口惜《くや》しがっていた。
「晩まで僕に、まかせて置いて下さい。」とだけ言って僕は、自分のベッドに寝ころがった。
 さすがに少し疲れたのである。
「まかせろ、まかせろ。」と越後が寝たまま威厳のある声で言ったので、かっぽれもそれ以上は言わずに、しぶしぶ寝てしまった様子である。
 僕には別に、計画なんか無いんだ。ただ、この回覧板を竹さんに見せると、竹さんは、いいようにしてくれるだろうと楽観していたのである。二時の屈伸鍛錬のときに、竹さんが部屋の前の廊下を通って、ちょっと僕の方を見たので、僕はすかさず右手で小さく、おいでおいでをした。竹さんは軽く首肯《うなず》いて、すぐに部屋へはいって来た。
「何か御用?」と真面目《まじめ》に尋ねる。
 僕は脚の運動をしながら、
「枕元《まくらもと》、枕元。」と小声で言った。
 竹さんは枕元の回覧板を見て、手に取り上げ、ざっと黙読してから、
「これ、貸してや。」と落ちついた口調で言ってその回覧板を小脇《こわき》にはさんだ。
「あやまちを改むるに、はばかる事なかれだ。早いほうがいい。」
 竹さんは何もかも心得顔に、幽かに首肯き、それから枕元の窓のほうに行って、黙って窓の外の景色を眺《なが》めている様子である。
 しばらくして、窓の外に向い、
「源さん、御苦労さまやなあ。」と少しも飾らぬ自然の口調で呟《つぶや》いた。窓の下で、小使いの源さんという老人が、二、三日前から草むしりをはじめているのだ。
「お盆すぎにな、」と源さんは窓の下で答える。「いちどむしったのに、またこのように生えて来る。」
 僕は、竹さんの「御苦労さまやなあ」という声の響きに唸《うな》るほど、感心していた。回覧板の事
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