ふとん》を頭からかぶってひとりでめそめそ泣き出すに到《いた》ったのだというのである。このニュウスはもうその翌朝、早くも道場全体にひろがり、無理もないと言う者もあり、けしからぬという者もあり、わけがわからんと言う者もあり、とにかくみんな大笑いであった。キントトさんは、からかわれても、にこりともせず、首を振って、まだ胸がどきどきすると言っている。
 それと、もうひとり、同室の固パンさんが、このごろひどく浮かぬ顔をしている。何か煩悶《はんもん》の様子に見受けられたが、果して彼にもまた一種奇妙な苦労があったのである。
 いったいこの固パンという人物は、秘密主義というのか、もったい振っているというのか、僕たちをてんで相手にせず、いつまでも他人行儀で、はなはだ気づまりな存在であったが、おとといの夜、あのような嵐で、七時少し過ぎた頃《ころ》から停電になって、そのために夜の摩擦も無かったし、また拡声機も停電のため休みになって、夜の報道も聞かれなかったから、塾生たちは、みんな早寝という事になったのである。けれども、風の音がひどいので、誰も眠られず、かっぽれは小声で歌をうたうし、越後獅子《えちごじし》は、自分のベッドの引出しから蝋燭《ろうそく》を捜し出して、それに点火して枕元《まくらもと》に立て、ベッドの上に大あぐらをかいて自分のスリッパの修繕に一生懸命である。
「ひどい風ですね。」
 と、固パンが、妙に笑いながら私たちのほうへやって来た。固パンが、他人のベッドのところへ遊びに来るなんて、実に珍らしい事であった。

     2

 蛾《が》が燈火を慕って飛んで来るように、人間もまた、こんな嵐の夜には、蝋燭の貧しげな光でもなつかしく、吸い寄せられて来るのかも知れない、と僕は思った。
「ええ、」僕は上半身を起して彼を迎え、「進駐軍も、この嵐には、おどろいているでしょう。」と言った。
 彼はいよいよ妙に笑い、
「いや、なに、それがねえ、」と少しおどけたような口調で言い、「問題はその進駐軍なんです。とにかく君、これを読んでみて下さい。」そうして、僕に一枚の便箋《びんせん》を手渡した。
 便箋には英語が一ぱい書かれている。
「英語は僕、読めません。」と僕は顔を赤くして言った。
「読めますよ。君たちくらいの中学校から出たての年頃が一ばん英語を覚えているものです。僕たちはもう、忘れてしまいました。」にやにや笑いながら言って、僕のベッドの端に腰をおろし、僕にだけ聞えるように急に声を低くして、「実はね、これは僕の書いた英文なんです。きっと文法の間違いがあるだろうから、君に直してもらいたいんです。読めばわかるだろうが、どうもこの道場の人たちは、僕をよっぽど英語の達人だと買いかぶっているらしく、いまにこの道場へアメリカの兵隊が来たら、或《ある》いは僕を通訳としてひっぱり出すかも知れないんだ。その時の事を思うと、僕は心配で仕様がないんですよ。察してくれたまえ。」と言って、てれ隠しみたいにうふふと笑った。
「だって、あなたは本当に英語がよくお出来になるようじゃありませんか。」と僕は、便箋をぼんやり眺《なが》めながら言った。
「冗談じゃない。とてもそんな通訳なんて出来やしないよ。どうも僕は少し調子に乗って、助手たちに英語の披露《ひろう》をしすぎたんだ。これで通訳なんかにひっぱり出されて、僕がへどもどまごついているところを見られたら、あの助手たちが、どんなに僕を軽蔑《けいべつ》するか、わかりゃしない。どうも、こんなに弱った事は無い。このごろ、それが心配で、夜もよく眠られぬくらいなんだ。御賢察にまかせるよ。」と言って、また、うふふと笑った。
 僕は便箋の英文を読んで見た。ところどころ僕の知らない単語などがあったが、だいたい次のような意味の英文であった。
 君、怒リ給《たも》ウコト勿《なか》レ。コノ失礼ヲ許シ給エ。我輩ハアワレナ男デアル。ナゼナラバ、我輩ハ英語ニ於《オ》イテ、聞キトルコトモ、言ウコトモ、ソノホカノコトモ、スベテ赤子《あかご》ノ如《ごと》キデアル。ソレラノ行為ハ、我輩ノ能力ノハルカ、カナタニ横タワッテイルノデアル。ノミナラズ、カツマタ、我輩ハ肺病デアル。君、注意セヨ! アア、危イ! 君ニ伝染ノ可能性スコブル多大デアル。シカシナガラ、我輩ハ君ヲ深ク信ジル。神ノ御名《みな》ニ於イテ、君ハ非常ニ気品高キ紳士デアルコトヲ認メル。君ハ必ズコノアワレナ男ニ同情ヲ持ツデアロウコトヲ我輩ハ疑ワナイノデアル。我輩ハ英語ノ会話ニ於イテ、ホトンド不具者デアルガ、カロウジテ、読ム事ト書ク事ガ出来ル。モシ、君ガ充分ノ親切心ト忍耐力トヲ保有シテイルナラバ、君ノ今日ノ用事ヲコノ紙片ニ書キシタタメテ欲シイ。シカシテ、一時間ノ忍耐ヲ示シテ欲シイ。我輩ハソノ期間ニ、我輩自身ヲ我輩ノ私室ニ密閉シ、君ノ
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