の意味はね、」と言いかけたら、
「もういい。」と、ぽいと投げ棄《す》てるように言って、さっさと行ってしまった。実に、異様にするどい口調であった。僕は突き刺されたような気がした。女って、凄《すご》いものだね。僕は部屋へ帰って、ベッドの上にごろりと寝ころがり、「万事、休す」と心の中で大きく叫んだ。
 ところが、夕食の時、お膳《ぜん》を持って来たのは、マア坊である。冷たくとり澄まして、僕の枕元の小机の上にお膳を置き、帰りしなに固パンのところに立寄って、とたんに人が変ったようにたわいない冗談を言い出し、きゃっきゃっと騒ぎはじめて、固パンの背中をどんと叩いて、固パンが、こら! と言ってマア坊のその手をつかまえようとしたら、
「いやあ。」と叫んで逃げて僕のところまで来て、僕の耳元に口を寄せ、
「これ見せたげる。あとで意味教えて。」とひどく早口で言って小さく折り畳んだ便箋を僕に手渡し、同時に固パンのほうに向き直り、
「やい、こら、固パン、白状せい。」と大声で言って、「テニスコートで、お江戸日本橋を歌っていらっしゃったのは、どなたです。」
「知らんよ、知らんよ。」と固パンは、顔を赤くして懸命に否定している。
「お江戸日本橋なら、おれだって知ってらあ。」とかっぽれは不平そうに小声で言って、食事にとりかかった。
「どなたも、ごゆっくり。」とマア坊は笑いながら一同の者に会釈《えしゃく》して、部屋を出て行った。何がなんだか、わけがわからない。マア坊にいい加減になぶられているような気がして、あまり愉快でなかった。そうして僕の手には一通の手紙が残された。僕は他人の手紙など見たくない。しかし、マア坊の小さい誇りをいたわるために、一覧しなければならぬ。やっかいな事になったと思いながら、食後にこっそり読んでみたが、いや、これが君、実に偉大な書翰であったのだ。恋文というものであろうか、何やら、まるで見当がつかない。あんな常識円満のおとなしそうな西脇《にしわき》つくし殿も、かげでこんな馬鹿げた手紙を書くとは、まことに案外なものである。おとなというのは、みんなこのような愚かな甘い一面を隠し持っているものであろうか。とにかく、ちょっとその書翰の文面を書き写してお目にかけましょうか。洗面所では終りの一枚のほんの一端だけを読まされたのだが、こんどは始めからの三枚の便箋全部を手渡しされたのである。以下はその偉大な
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