る手紙の全文である。
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「過ぎし想《おも》い出の地、道場の森、私は窓辺によりかかり、静かに人生の新しい一|頁《ページ》とも云《い》うべき事柄《ことがら》を頭に描きつつ、寄せては返す波を眺《なが》めている。静かに寄せ来る波……然《しか》し、沖には白波がいたく吠《ほ》えている。然して汐風《しおかぜ》が吹き荒れているが為《ため》に。」というのが書き出しだ。なんの意味も無いじゃないか。これではマア坊も当惑する筈《はず》だ。万葉集以上に難解な文章だ。つくしは、この道場を出て、それからつくしの故郷の北海道のほうの病院に行ったのだが、その病院は、どうやら海辺に建っているらしい。それだけはわかるのだが、あとは何の意味やら、さっぱりわからない。珍らしい文章である。もう少し書き写してみましょう。文脈がいよいよ不可思議に右往左往するのである。
「夕月が波にしずむとき、黒闇《こくあん》がよもを襲うとき、空のあなたに我が霊魂を導く星の光あり、世はうつり、ころべど、人生を正しく生きんがために努力しよう! 男だ! 男だ! 男だ※[#感嘆符二つ、1−8−75] 頑張《がんば》って行こう。私は今ここに貴女《あなた》を妹と呼ばして頂きたい。私には今与えられた天分と云おうか、何と云っていいか、ああ、やはり恋人と云って熱愛すべき方がいい。」
なんの事やら、さっぱりわからぬ。そうして、この辺から、文脈がますます奇怪に荒れ狂う。実に怒濤《どとう》の如《ごと》きものだ。
「それは人じゃない、物じゃない、学問であり、仕事の根源であり、日々朝夕愛すべき者は科学であり、自然の美である。共にこの二つは一体となって私を心から熱愛してくれるであろうし、私も熱愛している。ああ私は妹を得、恋人を得、ああ何と幸福であろう。妹よ※[#感嘆符二つ、1−8−75] 私の※[#感嘆符二つ、1−8−75] 兄のこの気持、念願を、心から理解してくれることと思う。それであって私の妹だと思い、これからも御便りを送ってゆきたいと思う。わかってくれるだろう、妹よ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
えらい堅い文章になって申わけありませんでした。然も御世話になりし貴女に妹などと申して済みませんが、理解して下さることと思います。貴女の年頃になれば男女とも色んなことを考える頃なれど、あまり神経を使うというのか、深い深い事を考えないようにし
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