僕には花束。竹さんとマア坊には赤い小さな英語の辞典一冊ずつのお土産。いかにも詩人らしい、親切な思いつきで、殊《こと》にも、竹さんとマア坊にお土産を持って来てくれたのは有難《ありがた》かった。
あの人たちから僕は、シガレットケースと、それから竹細工の藤娘《ふじむすめ》をもらって、少し閉口だったけれども、でも、そのうちに何かお返しをしなければならぬのではあるまいかと、内心、ちょっと気になっていたところへ、君が気をきかせてお土産を持って来てくれたので、ほっとしました。君には、僕よりもっと新しい一面があるようだ。僕はどうも、女のひとからものをもらったり、また、ものを贈ったりするのに、いささか、こだわりを感ずる。いやらしいと思うのだ。ここが、少し僕の古いところかも知れないね。君のように、てれずに、あっさり贈答できるように修行しよう。僕は君からまた一つものを教えられたような気がした。君の爽《さわ》やかな美徳を見たと思いました。
マア坊が「お客様ですよ」と言って、君を部屋へ案内して来た時には、僕の胸が、内出血するほど、どきんとした。わかってくれるだろうか。久しぶりに君の顔を見た喜びも大きかったが、それよりも、君とマア坊が、まるで旧知の間柄《あいだがら》のように、にこにこ笑って並んで歩いて来たのを見て、仰天したのだ。お伽噺《とぎばなし》のような気がした。これと似たような気持を、僕は去年の春にも、一度味わった。
去年の春、中学校を卒業と同時に肺炎を起し、高熱のためにうつらうつらして、ふと病床の枕元《まくらもと》を見ると、中学校の主任の木村先生とお母さんが笑いながら何か話合っている。あの時にも、僕は胆《きも》をつぶした。学校と家庭と、まるっきり違った遠い世界にわかれて住んでいるお二人が、僕の枕元で、お互い旧知の間柄みたいに話合っているのが実に不思議で、十和田湖《とわだこ》で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感で胸が躍った。
「すっかり元気そうになったじゃないか。」と君が言って、僕に花束を手渡して、僕がまごついていたら君は、マア坊に極めて自然の態度で、
「粗末な花瓶《かびん》で結構ですから、ひばりに貸してやって下さい。」と頼んで、マア坊は首肯《うなず》いて花瓶を取りに行って、僕は、まあ、本当に夢のようだったよ。何がなんだか、わからなくなって、
「マア坊を前から
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