」知っている料理を皆言ったつもりであった。
 女中は、四十ちかい叔母さんで、顔が黒く、痩せていて、それでも優しそうな感じのいい人であった。私は、その女中さんにお給仕されて、ひとりで、めしを大いに食べながら、
「浪、という芸者がいないかね。」少しも、恥じずに、そう言った。美しい勇気を持っていたのである。むしろ、得意でさえあった。「僕は、知っているんだ。」
 女中は、いないと答えた。私は箸《はし》を取り落すほど、がっかりした。
「そんなことは、ない。」ひどく不気嫌だった。
 女中は、うしろへ両手を廻して、ちょっと帯を直してから、答えた。浪という芸者が、いましたけれど、いつも男の言うこと聞きすぎて、田舎まわりの旅役者にだまされ、この土地に居られなくなり、いまはASという温泉場で、温泉芸者している筈です、という答えであった。
「そうか。浪は、昔から、そういう子だったんだ。」なぞと、知ったかぶりをして、けれども私は暗い気持であった。そのまま帰ったのであるが、なんのことはない、私はA市まで、滝を見に行って来たようなものであった。
 けれども私は、浪を忘れなかった。忘れるどころか、いよいよ好きになっ
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