ダス・ゲマイネ
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)堪《こた》える

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)孤高|狷介《けんかい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから5字下げ、本文よりひとまわり大きい太ゴシック体]
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   一 幻燈

[#ここから5字下げ、本文よりひとまわり大きい太ゴシック体]
当時、私には一日一日が晩年であった。
[#ここで字下げ終わり]

 恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも思われていたその賢明な、怪我の少い身構えの法をさえ持ち堪《こた》えることができず、謂《い》わば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないという嗄《しわが》れた呟《つぶや》きが、私の思想の全部であった。二十五歳。私はいま生れた。生きている。生き、切る。私はほんとうだ。好きなのだから仕様がない。しかしながら私は、はじめから歓迎されなかったようである。無理心中という古くさい概念を、そろそろとからだで了解しかけて来た矢先、私は手ひどくはねつけられ、そうしてそれっきりであった。相手はどこかへ消えうせたのである。
 友人たちは私を呼ぶのに佐野次郎左衛門、もしくは佐野次郎《さのじろ》という昔のひとの名でもってした。
「さのじろ。――でも、よかった。そんな工合いの名前のおかげで、おめえの恰好もどうやらついて来たじゃないか。ふられても恰好がつくなんてのは、てんからひとに甘ったれている証拠らしいが、――ま、落ちつく」
 馬場がそう言ったのを私は忘れない。そのくせ、私を佐野次郎なぞと呼びはじめたのは、たしかに馬場なのである。私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合った。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈《もうせん》を敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。
 私が講義のあいまあいまに大学の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていって、その甘酒屋にちょいちょい立ち寄ったわけは、その店に十七歳の、菊という小柄で利
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