持って構えていなさる。僕たちだけがまるはだかだ」
「へんなことを言うようですけれども、君はまるはだかの野苺と着飾った市場の苺とどちらに誇りを感じます。登竜門というものは、ひとを市場へ一直線に送りこむ外面《げめん》如菩薩《にょぼさつ》の地獄の門だ。けれども僕は着飾った苺の悲しみを知っている。そうしてこのごろ、それを尊く思いはじめた。僕は逃げない。連れて行くところまでは行ってみる」口を曲げて苦しそうに笑った。「そのうちに君、眼がさめて見ると、――」
「おっとそれあ言うな」馬場は右手を鼻の先で力なく振って、太宰の言葉をさえぎった。「眼がさめたら、僕たちは生きて居れない。おい、佐野次郎。よそうよ。面白くねえや。君にはわるいけれども、僕は、やめる。僕はひとの食いものになりたくないのだ。太宰に食わせる油揚げはよそを捜して見つけたらいい。太宰さん。海賊クラブは一日きりで解散だ。そのかわり、――」立ちあがって、つかつか太宰のほうへ歩み寄り、「ばけもの!」
 太宰は右の頬を殴られた。平手で音高く殴られた。太宰は瞬間まったくの小児のような泣きべそを掻《か》いたが、すぐ、どす黒い唇を引きしめて、傲然《ごうぜん》と頭をもたげた。私はふっと、太宰の顔を好きに思った。佐竹は眼をかるくつぶって眠ったふりをしていた。
 雨は晩になってもやまなかった。私は馬場とふたり、本郷の薄暗いおでんやで酒を呑んだ。はじめは、ふたりながら死んだように黙って呑んでいたのであるが、二時間くらいたってから、馬場はそろそろしゃべりはじめた。
「佐竹が太宰を抱き込んだにちがいないのさ。下宿のまえまでふたり一緒に来たのだ。それくらいのことは、やる男だ。君、僕は知っているよ。佐竹は君に何かこっそり相談したことがありはしないか」
「あります」私は馬場に酌をした。なんとかしていたわりたかった。
「佐竹は僕から君をとろうとしたのだ。別に理由はない。あいつは、へんな復讐心《ふくしゅうしん》を持っている。僕よりえらい。いや、僕にはよく判らない。――いや、ひょっとしたら、なんでもない俗な男なのかも知れん。そうだ、あんなのが世間から人並の男と言われるのだろう。だが、もういい。雑誌をよしてさばさばしたよ。今夜は僕、枕を高くしてのうのうと寝るぞ! それに、君、僕はちかく勘当されるかも知れないのだよ。一朝めざむれば、わが身はよるべなき乞食であった
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