れば、彼がこのやうにしばしば服裝をかへるわけは、自分についてどんな印象をもひとに與へたくない心からなんださうである。言ひ忘れてゐたが、馬場の生家は東京市外の三鷹村下連雀にあり、彼はそこから市内へ毎日かかさず出て來て遊んでゐるのであつて、親爺は地主か何かでかなりの金持ちらしく、そんな金持ちであるからこそ樣樣に服裝をかへたりなんかしてみることもできるわけで、これも謂はば地主の悴の贅澤の一種類にすぎないのだし、――さう考へてみれば、べつだん私は彼の風采のゆゑにひきつけられてゐるのでもないやうだぞ。金錢のせゐであらうか。頗る言ひにくい話であるが、彼とふたりで遊び歩いてゐると勘定はすべて彼が拂ふ。私を押しのけてまで支拂ふのである。友情と金錢とのあひだには、このうへなく微妙な相互作用がたえずはたらいてゐるものらしく、彼の豐潤の状態が私にとつていくぶん魅力になつてゐたことも爭はれない。これは、ひよつとしたら、馬場と私との交際は、はじめつから旦那と家來の關係にすぎず、徹頭徹尾、私がへえへえ牛耳られてゐたといふ話に終るだけのことのやうな氣もする。
 ああ、どうやらこれは語るに落ちたやうだ。つまりそのころ
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