の私は、さきにも鳥渡言つて置いたやうに金魚の糞のやうな無意志の生活をしてゐたのであつて、金魚が泳げば私もふらふらついて行くといふやうな、そんなはかない状態で馬場とのつき合ひをもつづけてゐたにちがひないのである。ところが、八十八夜。――妙なことには、馬場はなかなか暦に敏感らしく、けふは、かのえさる、佛滅だと言つてしよげかへつてゐるかと思ふと、けふは端午だ、やみまつり、などと私にはよく意味のわからぬやうなことまでぶつぶつ呟いてゐたりする有樣で、その日も、私が上野公園のれいの甘酒屋で、はらみ猫、葉櫻、花吹雪、毛蟲、そんな風物のかもし出す晩春のぬくぬくした爛熟の雰圍氣をからだぢゆうに感じながら、ひとりしてビイルを呑んでゐたのであるが、ふと氣がついてみたら、馬場がみどりいろの派手な背廣服を着ていつの間にか私のうしろのはうに坐つてゐたのである。れいの低い聲で、「けふは八十八夜。」さうひとこと呟いたかと思ふともう、てれくさくてかなはんとでもいふやうにむつくり立ちあがつて兩肩をぶるつと大きくゆすつた。八十八夜を記念しようといふ、なんの意味もない決心を笑ひながら固めて、二人、淺草へ呑みに出かけることにな
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