たい、彼にはどのやうな音樂理論があるのか、ヴアイオリニストとしてどれくらゐの腕前があるのか、作曲家としてはどんなものか、そんなことさへ私には一切わかつて居らぬのだ。馬場はときたま、てかてか黒く光るヴアイオリンケエスを左腕にかかへて持つて歩いてゐることがあるけれども、ケエスの中にはつねに一物もはひつてゐないのである。彼の言葉に依れば、彼のケエスそれ自體が現代のサンボルだ、中はうそ寒くからつぽであるといふんだが、そんなときには私は、この男はいつたいヴアイオリンを一度でも手にしたことがあるのだらうかといふ變な疑ひをさへ抱くのである。そんな案配であるから、彼の天才を信じるも信じないも、彼の技倆を計るよすがさへない有樣で、私が彼にひきつけられたわけは、他にあるのにちがひない。私もまたヴアイオリンよりヴアイオリンケエスを氣にする組ゆゑ、馬場の精神や技倆より、彼の風姿や冗談に魅せられたのだといふやうな氣もする。彼は實にしばしば服裝をかへて、私のまへに現はれる。さまざまの背廣服のほかに、學生服を着たり、菜葉服を着たり、あるときには角帶に白足袋といふ恰好で私を狼狽させ赤面させた。彼の平然と呟くところに依
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