のヴアイオリンの名手が日本へやつて來て、日比谷の公會堂で三度ほど演奏會をひらいたが、三度が三度ともたいへんな不人氣であつた。孤高狷介のこの四十歳の天才は、憤つてしまつて、東京朝日新聞へ一文を寄せ、日本人の耳は驢馬の耳だ、なんて惡罵したものであるが、日本の聽衆へのそんな罵言の後には、かならず、「ただしひとりの青年を除いて。」といふ一句が詩のルフランのやうに括弧でくくられて書かれてゐた。いつたい、ひとりの青年とは誰のことなんだとそのじぶん樂壇でひそひそ論議されたものださうであるが、それは、馬場であつた。馬場はヨオゼフ・シゲテイと逢つて話を交《かは》した。日比谷公會堂での三度目の辱かしめられた演奏會がをはつた夜、馬場は銀座のある名高いビヤホオルの奧隅の鉢の木の蔭に、シゲテイの赤い大きな禿頭を見つけた。馬場は躊躇せず、その報いられなかつた世界的な名手がことさらに平氣を裝うて薄笑ひしながらビイルを舐めてゐるテエブルのすぐ隣りのテエブルに、つかつか歩み寄つていつて坐つた。その夜、馬場とシゲテイとは共鳴をはじめて、銀座一丁目から八丁目までのめぼしいカフヱを一軒一軒、たんねんに呑んでまはつた。勘定はヨ
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