つて快感だ。枕のしたを清水がさらさら流れてゐるやうで。あきらめぢやない。王侯のよろこびだよ。」ぐつと甘酒を呑みほしてから、だしぬけに碾茶の茶碗を私の方へのべてよこした。「この茶碗に書いてある文字、――白馬《ハクバ》驕《オゴリテ》不行《ユカズ》。よせばいいのに。てれくさくてかなはん。君にゆづらう。僕が淺草の骨董屋から高い金を出して買つて來て、この店にあづけてあるのだ。とくべつに僕用の茶碗としてね。僕は君の顏が好きなんだ。瞳のいろが深い。あこがれてゐる眼だ。僕が死んだなら、君がこの茶碗を使ふのだ。僕はあしたあたり死ぬかも知れないからね。」
 それからといふもの、私たちはその甘酒屋で實にしばしば落ち合つた。馬場はなかなかに死ななかつたのである。死なないばかりか、少し太つた。蒼黒い兩頬が桃の實のやうにむつつりふくれた。彼はそれを酒ぶとりであると言つて、かうからだが太つて來ると、いよいよ危いのだ、と小聲で附け加へた。私は日ましに彼と仲良くなつた。なぜ私は、こんな男から逃げ出さずに、かへつて親密になつていつたのか。馬場の天才を信じたからであらうか。昨年の晩秋、ヨオゼフ・シゲテイといふブダペスト生れ
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