さうぢやない。僕は平凡なのだ。見せかけだけさ。僕のわるい癖でしてね。はじめに逢つたひとには、ちよつとかう、いつぷう變つているやうに見せたくてたまらないのだ。自繩自縛といふ言葉がある。ひどく古くさい。いかん。病氣ですね。君は、文科ですか? ことし卒業ですね?」
 私は答へた。「いいえ。もう一年です。あの、いちど落第したものですから。」
「はあ、藝術家ですな。」にこりともせず、おちついて甘酒をひと口すすつた。「僕はそこの音樂學校にかれこれ八年ゐます。なかなか卒業できない。まだいちども試驗といふものに出席しないからだ。ひとがひとの能力を試みるなんてことは、君、容易ならぬ無禮だからね。」
「さうです。」
「と言つてみただけのことさ。つまりは頭がわるいのだよ。僕はよくここにかうして坐りこみながら眼のまへをぞろぞろと歩いて通る人の流れを眺めてゐるのだが、はじめのうちは堪忍できなかつた。こんなにたくさんひとが居るのに、誰も僕を知つてゐない、僕に留意しない、さう思ふと、――いや、さうさかんに合槌うたなくたつてよい。はじめから君の氣持ちで言つてゐるのだ。けれどもいまの僕なら、そんなことぐらい平氣だ。かへ
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