てゐた。そのつぎには顏である。これをもひとめ見た印象で言はせてもらへば、シユーベルトに化け損ねた狐である。不思議なくらゐに顯著なおでこと、鐵縁の小さな眼鏡とたいへんなちぢれ毛と、尖つた顎と、無精鬚。皮膚は、大仰な言ひかたをすれば、鶯の羽のやうな汚い青さで、まつたく光澤がなかつた。その男が赤毛氈の縁臺のまんなかにあぐらをかいて坐つたまま大きい碾茶の茶碗でたいぎさうに甘酒をすすりながら、ああ、片手あげて私へおいでおいでをしたでないか。ながく躊躇をすればするほどこれはいよいよ薄氣味わるいことになりさうだな、とさう直覺したので、私は自分にもなんのことやら意味の分らぬ微笑を無理して浮べながら、その男の坐つてゐる縁臺の端に腰をおろした。
「けさ、とても固いするめを食つたものだから、」わざと押し潰してゐるやうな低いかすれた聲であつた。「右の奧齒がいたくてなりません。齒痛ほど閉口なものはないね。アスピリンをどつさり呑めば、けろつとなおるのだが。おや、あなたを呼んだのは僕だつたのですか? しつれい。僕にはねえ、」私の顏をちらと見てから、口角に少し笑ひを含めて、「ひとの見さかひができねえんだ。めくら。――
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