て論じてゐるのをつひぞ聞いたことがない。ヴアイオリンを手にしたのを見たことがない。作曲する? おたまじやくしさへ讀めるかどうか。馬場の家では、あいつに泣かされてゐるのですよ。いつたい音樂學校にはひつてゐるのかどうか、それさへはつきりしてゐないのです。むかしはねえ、あれで小説家にならうと思つて勉強したこともあるんですよ。それがあんまり本を讀みすぎた結果、なんにも書けなくなつたのださうです。ばかばかしい。このごろはまた、自意識過剩とかいふ言葉のひとつ覺えで、恥かしげもなくはうばうへそれを言ひふらして歩いてゐるやうです。僕はむづかしい言葉ぢや言へないけれども、自意識過剩といふのは、たとへば、道の兩側に何百人かの女學生が長い列をつくつてならんでゐて、そこへ自分が偶然にさしかかり、そのあひだをひとりで、のこのこ通つて行くときの一擧手一投足、ことごとくぎこちなく視線のやりば首の位置すべてに困じ果てきりきり舞ひをはじめるやうな、そんな工合ひの氣持ちのことだと思ふのですが、もしそれだつたら、自意識過剩といふものは、實にもう、七轉八倒の苦しみであつて、馬場みたいにあんな出鱈目な饒舌を弄することは勿論でき
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