イゲは自殺したんだつてね。コクトオは氣がちがひさうになつて日がな一日オピアムばかりやつてるさうだし、ヴアレリイは十年間、唖者《おし》になつた。このたつたひとつの小説をめぐつて、日本なんかでも一時ずゐぶん悲慘な犧牲者が出たものだ。現に、君、――」「おい、おい。」といふ嗄れた呼び聲が馬場の物語の邪魔をした。ぎよつとして振りむくと、馬場の右脇にコバルト色の學生服を着た背のきはめてひくい若い男がひつそり立つてゐた。
「おそいぞ。」馬場は怒つてゐるやうな口調で言つた。「おい、この帝大生が佐野次郎左衞門さ。こいつは佐竹六郎だ。れいの畫かきさ。」
 佐竹と私とは苦笑しながら輕く目禮を交した。佐竹の顏は肌理も毛穴も全然ないてかてかに磨きあげられた乳白色の能面の感じであつた。瞳の焦點がさだかでなく、硝子製の眼玉のやうで、鼻は象牙細工のやうに冷く、鼻筋が劍のやうにするどかつた。眉は柳の葉のやうに細長く、うすい唇は苺のやうに赤かつた。そんなに絢爛たる面貌にくらべて、四肢の貧しさは、これまた驚くべきほどであつた。身長五尺に滿たないくらゐ、痩せた小さい兩の掌は蜥蜴のそれを思ひ出させた。佐竹は立つたまま、老人のや
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