と舐めた。「知性の極といふものは、たしかにある。身の毛もよだつ無間奈落だ。こいつをちらとでも覗いたら最後、ひとは一こともものを言へなくなる。筆を執つても原稿用紙の隅に自分の似顏畫を落書したりなどするだけで、一字も書けない。それでゐて、そのひとは世にも恐ろしい或るひとつの小説をこつそり企てる。企てた、とたんに、世界ぢゆうの小説がにはかに退屈でしらじらしくなつて來るのだ。それはほんたうに、おそろしい小説だ。たとへば、帽子をあみだにかぶつても氣になるし、まぶかにかぶつても落ちつかないし、ひと思ひに脱いでみてもいよいよ變だといふ場合、ひとはどこで位置の定着を得るかといふやうな自意識過剩の統一の問題などに對しても、この小説は碁盤のうへに置かれた碁石のやうな涼しい解決を與へてゐる。涼しい解決? さうぢやない。無風。カツトグラス。白骨。そんな工合ひの冴え冴えした解決だ。いや、さうぢやない。どんな形容詞もない、ただの、『解決』だ。そんな小説はたしかにある。けれども人は、ひとたびこの小説を企てたその日から、みるみる痩せおとろへ、はては發狂するか自殺するか、もしくは唖者《おし》になつてしまふのだ。君、ラデ
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