なりさうな氣まづさ。自動車が淺草の雜沓のなかにまぎれこみ、私たちもただの人の氣樂さをやうやく感じて來たころ、馬場はまじめに呟いた。
「ゆうべ女のひとがねえ、僕にかういつて教へたものだ。あたしたちだつて、はたから見るほど樂ぢやないんだよ。」
 私は、つとめて大袈裟に噴きだして見せた。馬場はいつになくはればれと微笑み、私の肩をぽんと叩いて、
「日本で一番よいまちだ。みんな胸を張つて生きてゐるよ。恥ぢてゐない。おどろいたなあ。一日一日をいつぱいに生きてゐる。」
 それ以後、私は馬場へ肉親のやうに馴れて甘えて、生れてはじめて友だちを得たやうな氣さへしてゐた。友を得たと思つたとたんに私は戀の相手をうしなつた。それが、口に出して言はれないやうな、われながらみつともない形で女のひとに逃げられたものであるから、私は少し評判になり、たうとう、佐野次郎といふくだらない名前までつけられた。いまだからこそ、こんなふうになんでもない口調で語れるのであるが、當時は、笑ひ話どころではなく、私は死なうと思つてゐた。幻燈のまちの病氣もなほらず、いつ不具者になるかわからぬ状態であつたし、ひとはなぜ生きてゐなければいけない
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