うであつたが、べつだん驚きもせずゆつたりした歩調で私と少しはなれて歩きながら、兩側の小窓小窓の女の顏をひとつひとつ熟察してゐた。路地へはひり路地を拔け路地を曲り路地へ行きついてから私は立ちどまり馬場の横腹をそつと小突いて、僕はこの女のひとを好きなのです。ええ、よつぽどまへからと囁いた。私の戀の相手はまばたきもせず小さい下唇だけをきゆつと左へうごかして見せた。馬場も立ちどまり、兩腕をだらりとさげたまま首を前へ突きだして、私の女をつくづくと凝視しはじめたのである。やがて、振りかへりざま、叫ぶやうにして言つた。
「やあ、似てゐる。似てゐる。」
はつとはじめて氣づいた。
「いいえ、菊ちやんにはかなひません。」私は固くなつて、へんな應へかたをした。ひどくりきんでゐたのである。馬場はかるく狼狽の樣子で、
「くらべたりするもんぢやないよ」と言つて笑つたが、すぐにけはしく眉をひそめ、「いや、ものごとはなんでも比較してはいけないんだ。比較根性の愚劣。」と自分へ説き聞かせるやうにゆつくり呟きながら、ぶらぶら歩きだした。あくる朝、私たちはかへりの自動車のなかで、默つてゐた。一口でも、ものを言へば毆り合ひに
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