つたよ。僕の學校の先輩から小説の素晴らしく巧い男だといつて紹介されたのだが、――何も宿命だ。仲間にいれてやることにした。君、太宰つてのは、おそろしくいやな奴だぞ。さうだ。まさしく、いや、な奴だ。嫌惡の情だ。僕はあんなふうの男とは肉體的に相容れないものがあるやうだ。頭は丸坊主。しかも君、意味深げな丸坊主だ。惡い趣味だよ。さうだ、さうだ。あいつはからだのぐるりを趣味でかざつてゐるのだ。小説家つてのは、皆あんな工合ひのものかねえ。思索や學究や情熱なぞをどこに置き忘れて來たのか。まるつきりの、根つからの戲作者だ。蒼黒くでらでらした大きい油顏で、鼻が、――君レニエの小説で僕はあんな鼻を讀んだことがあるぞ。危險きはまる鼻。危機一髮、團子鼻に墮さうとするのを鼻のわきの深い皺がそれを助けた。まつたくねえ。レニエはうまいことを言ふ。眉毛は太く短くまつ黒で、おどおどした兩の小さい眼を被ひかくすほどもじやもじや繁茂してゐやがる。額はあくまでもせまく皺が横に二筋はつきりきざまれてゐて、もう、なつちやゐない。首がふとく、襟脚はいやに鈍重な感じで、顎の下に赤い吹出物の跡を三つも僕は見つけた。僕の目算では、身丈は五尺七寸、體重は十五貫、足袋は十一文、年齡は斷じて三十まへだ。おう、だいじなことを言ひ忘れた。ひどい猫脊で、とんとせむし、――君、ちよつと眼をつぶつてそんなふうの男を想像してごらん。ところが、これは嘘なんだ。まるつきり嘘なんだ。おほやま師。裝つてゐるのだ。それにちがひないんだ。なにからなにまで見せかけなのだ。僕の睨んだ眼に狂ひはない。ところどころに生え伸びたまだらな無精鬚。いや、あいつに無精なんてあり得ない。どんな場合でもあり得ない。わざとつとめて生やした鬚だ。ああ、僕はいつたい誰のことを言つてゐるのだ! ごらん下さい、私はいまかうしてゐます、ああしてゐますと、いちいち説明をつけなければ指一本うごかせず咳ばらひ一つできない。いやなこつた! あいつの素顏は、眼も口も眉毛もないのつぺらぼうさ。眉毛を描いて眼鼻をくつつけ、さうして知らんふりをしてゐやがる。しかも君、それをあいつは藝にしてゐる。ちえつ! 僕はあいつを最初瞥見したとき、こんにやくの舌で顏をぺろつと舐められたやうな氣がしたよ。思へば、たいへんな仲間ばかり集つて來たものさ。佐竹、太宰、佐野次郎、馬場、ははん、この四人が、ただ默つて立ち並んだだけでも歴史的だ。さうだ! 僕はやるぞ。なにも宿命だ。いやな仲間もまた一興ぢやないか。僕はいのちをことし一年限りとして Le Pirate に僕の全部の運命を賭ける。乞食になるか、バイロンになるか。神われに五ペンスを與ふ。佐竹の陰謀なんて糞くらへだ!」ふいと聲を落して、「君、起きろよ。雨戸をあけてやらう。もうすぐみんなここへ來るよ。けふこの部屋で海賊の打ち合せをしようと思つてね。」
私も馬場の興奮に釣られてうろうろしはじめ、蒲團を蹴つて起きあがり、馬場とふたりで腐りかけた雨戸をがたぴしこじあけた。本郷のまちの屋根屋根は雨でけむつてゐた。
ひるごろ、佐竹が來た。レンコオトも帽子もなく、天鵞絨のズボンに水色の毛絲のジヤケツを着けたきりで、顏は雨に濡れて、月のやうに青く光つた不思議な頬の色であつた。夜光蟲は私たちに一言の挨拶もせず、溶けて崩れるやうにへたへたと部屋の隅に寢そべつた。
「かんにんして呉れよ。僕は疲れてゐるんだ。」
すぐつづいて太宰が障子をあけてのつそりあらはれた。ひとめ見て、私はあわてふためいて眼をそらした。これはいけないと思つた。彼の風貌は、馬場の形容を基にして私が描いて置いた好惡ふたつの影像のうち、わるいはうの影像と一分一厘の間隙もなくぴつたり重なり合つた。さうして尚さらいけないことには、そのときの太宰の服裝がそつくり、馬場のかねがね最もいみきらつてゐるたちのものだつたではないか。派手な大島絣の袷に總絞りの兵古帶、荒い格子縞のハンチング、淺黄の羽二重の長襦袢の裾がちらちらこぼれて見えて、その裾をちよつとつまみあげて坐つたものであるが、窓のそとの景色を、形だけ眺めたふりをして、
「ちまたに雨が降る。」と女のやうな細い甲高い聲で言つて、私たちのはうを振りむき赤濁りに濁つた眼を絲のやうに細くし顏ぢゆうをくしやくしやにして笑つてみせた。私は部屋から飛び出してお茶を取りに階下へ降りた。お茶道具と鐵瓶とを持つて部屋へかへつて來たら、もうすでに馬場と太宰が爭つてゐたのである。
太宰は坊主頭のうしろへ兩手を組んで、「言葉はどうでもよいのです。いつたいやる氣なのかね?」
「何をです。」
「雜誌をさ。やるなら一緒にやつてもいい。」
「あなたは一體、何しにここへ來たのだらう。」
「さあ、――風に吹かれて。」
「言つて置くけれども、御託宣と、警句と、冗談と、それか
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