ら、そのにやにや笑ひだけはよしにしませう。」
「それぢや、君に聞くが、君はなんだつて僕を呼んだのだ。」
「おめえはいつでも呼べば必ず來るのかね?」
「まあ、さうだ。さうしなければいけないと自分に言ひ聞かせてあるのです。」
「人間のなりはひの義務。それが第一。さうですね?」
「ご勝手に。」
「おや、あなたは妙な言葉を體得してゐますね。ふてくされ。ああ、ごめんだ。あなたと仲間になるなんて! とかう言ひ切るとあなたのはうぢや、すぐもうこつちをポンチにしてゐるのだからな。かなはんよ。」
「それは、君だつて僕だつてはじめからポンチなのだ。ポンチにするのでもなければ、ポンチになるのでもない。」
「私は在る。おほきいふぐりをぶらさげて、さあ、この一物をどうして呉れる。そんな感じだ。困りましたね。」
「言ひすぎかも知れないけれど、君の言葉はひどくしどろもどろの感じです。どうかしたのですか? ――なんだか、君たちは藝術家の傳記だけを知つてゐて、藝術家の仕事をまるつきり知つてゐないやうな氣がします。」
「それは非難ですか? それともあなたの研究發表ですか? 答案だらうか。僕に採點しろといふのですか?」
「――中傷さ。」
「それぢや言ふが、そのしどろもどろは僕の特質だ。たぐひ稀な特質だ。」
「しどろもどろの看板。」
「懷疑説の破綻と來るね。ああ、よして呉れ。僕は掛合ひ萬歳は好きでない。」
「君は自分の手鹽にかけた作品を市場にさらしたあとの突き刺されるやうな悲しみを知らないやうだ。お稻荷さまを拜んでしまつたあとの空虚を知らない。君たちは、たつたいま、一《いち》の鳥居をくぐつただけだ。」
「ちえつ! また御託宣か。――僕はあなたの小説を讀んだことはないが、リリシズムと、ウヰツトと、ユウモアと、エピグラムと、ポオズと、そんなものを除き去つたら、跡になんにも殘らぬやうな駄洒落小説をお書きになつてゐるやうな氣がするのです。僕はあなたに精神を感ぜずに世間を感ずる。藝術家の氣品を感ぜずに、人間の胃腑を感ずる。」
「わかつてゐます。けれども、僕は生きて行かなくちやいけないのです。たのみます、といつて頭をさげる、それが藝術家の作品のやうな氣さへしてゐるのだ。僕はいま世渡りといふことについて考へてゐる。僕は趣味で小説を書いてゐるのではない。結構な身分でゐて、道樂で書くくらゐなら、僕ははじめから何も書きはせん。とりかかれば、一通りはうまくできるのが判つてゐる。けれども、とりかかるまへに、これは何故に今さららしくとりかかる値打ちがあるのか、それを四方八方から眺めて、まあ、まあ、ことごとしくとりかかるにも及ぶまいといふことに落ちついて、結局、何もしない。」
「それほどの心情をお持ちになりながら、なんだつて、僕たちと一緒に雜誌をやらうなどと言ふのだらう。」
「こんどは僕を研究する氣ですか? 僕は怒りたくなつたからです。なんでもいい、叫びが欲しくなつたのだ。」
「あ、それは判る。つまり楯を持つて恰好をつけたいのですね。けれども、――いや、そむいてみることさへできない。」
「君を好きだ。僕なんかも、まだ自分の楯を持つてゐない。みんな他人の借り物だ。どんなにぼろぼろでも自分專用の楯があつたら。」
「あります。」私は思はず口をはさんだ。「イミテエシヨン!」
「さうだ。佐野次郎にしちや大出來だ。一世一代だぞ、これあ。太宰さん。附け鬚模樣の銀鍍金の楯があなたによく似合ふさうですよ。いや、太宰さんは、もう平氣でその楯を持つて構へてゐなさる。僕たちだけがまるはだかだ。」
「へんなことを言ふやうですけれども、君はまるはだかの野苺と着飾つた市場の苺とどちらに誇りを感じます。登龍門といふものは、ひとを市場へ一直線に送りこむ外面如菩薩の地獄の門だ。けれども僕は着飾つた苺の悲しみを知つてゐる。さうしてこのごろ、それを尊く思ひはじめた。僕は逃げない。連れて行くところまでは行つてみる。」口を曲げて苦しさうに笑つた。「そのうちに君、眼がさめて見ると、――」
「おつとそれあ言ふな。」馬場は右手を鼻の先で力なく振つて、太宰の言葉をさへぎつた。「眼がさめたら、僕たちは生きて居れない。おい、佐野次郎。よさうよ。面白くねえや。君にはわるいけれども、僕は、やめる。僕はひとの食ひものになりたくないのだ。太宰に食はせる油揚げはよそを搜して見つけたらいい。太宰さん。海賊クラブは一日きりで解散だ。そのかはり、――」立ちあがつて、つかつか太宰のはうへ歩み寄り、「ばけもの!」
太宰は右の頬を毆られた。平手で音高く毆られた。太宰は瞬間まつたくの小兒のやうな泣きべそを掻いたが、すぐ、どす黒い唇を引きしめて、傲然と頭をもたげた。私はふつと、太宰の顏を好きに思つた。佐竹は眼をかるくつぶつて眠つたふりをしてゐた。
雨は晩になつてもやまな
前へ
次へ
全12ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング