す。
田島は窮して、最もぶざまで拙劣な手段、立っていきなりキヌ子に抱きつこうとした。
グワンと、こぶしで頬《ほお》を殴《なぐ》られ、田島は、ぎゃっという甚《はなは》だ奇怪な悲鳴を挙げた。その瞬間、田島は、十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思い出し、慄然《りつぜん》として、
「ゆるしてくれえ。どろぼう!」
とわけのわからぬ事を叫んで、はだしで廊下に飛び出した。
キヌ子は落ちついて、ドアをしめる。
しばらくして、ドアの外で、
「あのう、僕の靴を、すまないけど。……それから、ひものようなものがありましたら、お願いします。眼鏡のツルがこわれましたから。」
色男としての歴史に於いて、かつて無かった大屈辱にはらわたの煮えくりかえるのを覚えつつ、彼はキヌ子から恵まれた赤いテープで、眼鏡をつくろい、その赤いテープを両耳にかけ、
「ありがとう!」
ヤケみたいにわめいて、階段を降り、途中、階段を踏みはずして、また、ぎゃっと言った。
コールド・ウォー (一)
田島は、しかし、永井キヌ子に投じた資本が、惜しくてならぬ。こんな、割の合わぬ商売をした事が無い。何とかして、彼女を利
前へ
次へ
全33ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング