した。
 お昼頃、ご亭主がおさかなや野菜の仕入れをして帰って来ました。私は、ご亭主の顔を見るなり、また早口に、おかみさんに言ったのと同様の嘘を申しました。
 ご亭主は、きょとんとした顔になって、
「へえ? しかし、奥さん、お金ってものは、自分の手に、握ってみないうちは、あてにならないものですよ」
 と案外、しずかな、教えさとすような口調で言いました。
「いいえ、それがね、本当にたしかなのよ。だから、私を信用して、おもて沙汰にするのは、きょう一日待って下さいな。それまで私は、このお店でお手伝いしていますから」
「お金が、かえって来れば、そりゃもう何も」とご亭主は、ひとりごとのように言い、「何せことしも、あと五、六日なのですからね」
「ええ、だから、それだから、あの私は、おや? お客さんですわよ。いらっしゃいまし」と私は、店へはいって来た三人連れの職人ふうのお客に向って笑いかけ、それから小声で、「おばさん、すみません。エプロンを貸して下さいな」
「や、美人を雇いやがった。こいつあ、凄い」
 と客のひとりが言いました。
「誘惑しないで下さいよ」とご亭主は、まんざら冗談でもないような口調で言い
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