を言い、踵《かかと》をおろして幽《かす》かなお辞儀をした。
緑色の帽子をかぶり、帽子の紐《ひも》を顎《あご》で結び、真赤なレンコオトを着ている。見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、私の思い出の中の或る影像とぴったり重って来た。
「シズエ子ちゃん。」
吉だ。
「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」
「いいえ。アリエルというご本を買いに来たのだけれども、もう、いいわ。」
私たちは、師走ちかい東京の街に出た。
「大きくなったね。わからなかった。」
やっぱり東京だ。こんな事もある。
私は露店から一袋十円の南京豆《ナンキンまめ》を二袋買い、財布《さいふ》をしまって、少し考え、また財布を出して、もう一袋買った。むかし私はこの子のために、いつも何やらお土産《みやげ》を買って、そうして、この子の母のところへ遊びに行ったものだ。
母は、私と同じとしであった。そうして、そのひとは、私の思い出の女のひとの中で、いまだしぬけに逢っても、私が恐怖困惑せずにすむ極めて稀《まれ》な、いやいや、唯一、と言ってもいいくらいのひとであった。それは、なぜであろうか。いま仮りに四つの答案を提出してみる。そのひとは所謂《いわゆる》貴族の生れで、美貌《びぼう》で病身で、と言ってみたところで、そんな条件は、ただキザでうるさいばかりで、れいの「唯一のひと」の資格にはなり得ない。大金持ちの夫と別れて、おちぶれて、わずかの財産で娘と二人でアパート住いして、と説明してみても、私は女の身の上話には少しも興味を持てないほうで、げんにその大金持ちの夫と別れたのはどんな理由からであるか、わずかの財産とはどんなものだか、まるで何もわかってやしないのだ。聞いても忘れてしまうのだろう。あんまり女に、からかわれつづけて来たせいか、女からどんな哀れな身の上話を聞かされても、みんないい加減の嘘《うそ》のような気がして、一滴の涙も流せなくなっているのだ。つまり私はそのひとが、生れがいいとか、美人だとか、しだいに落ちぶれて可哀《かわい》そうだとか、そんな謂《い》わばロオマンチックな条件に依《よ》って、れいの「唯一のひと」として択《えら》び挙げていたわけでは無かった。答案は次の四つに尽きる。第一には、綺麗《きれい》好きな事である。外出から帰ると必ず玄関で手と足とを洗う。落ちぶれたと言っても、
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