た。
「あなたは、義太夫《ぎだゆう》をおすきなの?」
「どうして?」
「去年の暮に、あなたは小土佐《ことさ》を聞きにいらしてたわね。」
「そう。」
「あの時、あたしはあなたの傍にいたのよ。あなたは稽古本《けいこぼん》なんか出して、何だか印をつけたりして、きざだったわね。お稽古も、やってるの?」
「やっている。」
「感心ね。お師匠さんは誰?」
「咲栄太夫《さきえだゆう》さん。」
「そう。いいお師匠さんについたわね。あのかたは、この弘前では一ばん上手《じょうず》よ。それにおとなしくて、いいひとだわ。」
「そう。いいひとだ。」
「あんなひと、すき?」
「師匠だもの。」
「師匠だからどうなの?」
「そんな、すきだのきらいだのって、あのひとに失敬だ。あのひとは本当にまじめなひとなんだ。すきだのきらいだの。そんな、馬鹿な。」
「おや、そうですか。いやに固苦しいのね。あなたはこれまで芸者遊びをした事なんかあるの?」
「これからやろうと思っている。」
「そんなら、あたしを呼んでね、あたしの名はね、おしのというのよ。忘れないようにね。」
 昔のくだらない花柳《かりゅう》小説なんていうものに、よくこんな場
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