面があって、そうして、それが「妙な縁」という事になり、そこから恋愛がはじまるという陳腐《ちんぷ》な趣向が少くなかったようであるが、しかし、私のこの体験談に於いては、何の恋愛もはじまらなかった。したがってこれはちっとも私のおのろけというわけのものではないから、読者も警戒御無用にしていただきたい。
宴会が終って私は料亭から出た。粉雪が降っている。ひどく寒い。
「待ってよ。」
芸者は酔っている。お高祖頭巾《こそずきん》をかぶっている。私は立ちどまって待った。
そうして私は、或る小さい料亭に案内せられた。女は、そこの抱《かか》え芸者とでもいうようなものであったらしい。奥の部屋に通されて、私は炬燵《こたつ》にあたった。
女はお酒や料理を自分で部屋に運んで来て、それからその家の朋輩《ほうばい》らしい芸者を二人呼んだ。みな紋附を着ていた。なぜ紋附を着ていたのか私にはわからなかったが、とにかく、その酔っているお篠《しの》という芸者も、その朋輩の芸者も、みな紋の附いた裾《すそ》の長い着物を着ていた。
お篠は、二人の朋輩を前にして、宣言した。
「あたしは、こんどは、このひとを好きになる事にしましたから、そのつもりでいて下さい。」
二人の朋輩は、イヤな顔をした。そうして、二人で顔を見合せ、何か眼で語り、それから二人のうちの若いほうの芸者が膝を少しすすめて、
「ねえさん、それは本気?」と怒っているような口調で問うた。
「ああ、本気だとも、本気だとも。」
「だめですよ。間違っています。」と若い子は眉《まゆ》をひそめてまじめに言い、それから私にはよくわからない「花柳隠語」とでもいうような妙な言葉をつかって、三人の紋附の芸者が大いに言い争いをはじめた。
しかし、私の思いは、ただ一点に向って凝結されていたのである。炬燵の上にはお料理のお膳《ぜん》が載せられてある。そのお膳の一|隅《ぐう》に、雀焼《すずめや》きの皿がある。私はその雀焼きが食いたくてならぬのだ。頃しも季節は大寒《だいかん》である。大寒の雀の肉には、こってりと油が乗っていて最もおいしいのである。寒雀《かんすずめ》と言って、この大寒の雀は、津軽の童児の人気者で、罠《わな》やら何やらさまざまの仕掛けをしてこの人気者をひっとらえては、塩焼きにして骨ごとたべるのである。ラムネの玉くらいの小さい頭も全部ばりばり噛《か》みくだいてたべるのである。頭の中の味噌《みそ》はまた素敵においしいという事になっていた。甚だ野蛮な事には違いないが、その独特の味覚の魅力に打ち勝つ事が出来ず、私なども子供の頃には、やはりこの寒雀を追いまわしたものだ。
お篠さんが紋附の長い裾をひきずって、そのお料理のお膳を捧げて部屋へはいって来て、(すらりとしたからだつきで、細面《ほそおもて》の古風な美人型のひとであった。としは、二十二、三くらいであったろうか。あとで聞いた事だが、その弘前の或る有力者のお妾《めかけ》で、まあ、当時は一流のねえさんであったようである)そうして、私のあたっている炬燵の上に置いた瞬間、既に私はそのお膳の一隅に雀焼きを発見し、や、寒雀! と内心ひそかに狂喜したのである。たべたかった。しかし、私はかなりの見栄坊であった。紋附を着た美しい芸者三人に取りまかれて、ばりばりと寒雀を骨ごと噛みくだいて見せる勇気は無かった。ああ、あの頭の中の味噌はどんなにかおいしいだろう。思えば、寒雀もずいぶんしばらく食べなかったな、と悶《もだ》えても、猛然とそれを頬張る蛮勇は無いのである。私は仕方なく銀杏《ぎんなん》の実を爪楊枝《つまようじ》でつついて食べたりしていた。しかし、どうしても、あきらめ切れない。
一方、女どもの言い争いは、いつまでもごたごた続いている。
私は立上って、帰ると言った。
お篠は、送ると言った、私たちは、どやどやと玄関に出た。あ、ちょっと、と言って、私は飛鳥の如く奥の部屋に引返し、ぎょろりと凄くあたりを見廻し、矢庭《やにわ》にお膳の寒雀二羽を掴《つか》んでふところにねじ込み、それからゆっくり玄関へ出て行って、
「わすれもの。」と嗄《しゃが》れた声で嘘を言った。
お篠はお高祖頭巾をかぶって、おとなしく私の後について来た。私は早く下宿へ行って、ゆっくり二羽の寒雀を食べたいとそればかり思っていた。二人は雪路を歩きながら、格別なんの会話も無い。
下宿の門はしまっていた。
「ああ、いけない。しめだしを食っちゃった。」
その家の御主人は厳格なひとで、私の帰宅のおそすぎる時には、こらしめの意味で門をしめてしまうのである。
「いいわよ。」とお篠は落ちついて、「知ってる旅館がありますから。」
引返して、そのお篠の知っている旅館に案内してもらった。かなり上等の宿屋である。お篠は戸を叩いて番頭を起し、私の事をたのん
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