を得たところの短篇小説であるというわけなのである。もとより軽薄な、たわいの無い小説ではあるが、どういうわけだか、私には忘れられない。
――兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。
長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇《かば》う鬼の面《めん》であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ、愚作だと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。それにきまっていた。映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不機嫌になって、みちみち一言も口をきかない。生れて、いまだ一度も嘘言《うそ》というものをついた事が無いと、躊躇《ちゅうちょ》せず公言している。それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直、潔白の一面は、たしかに具有していた。学校の成績はあまりよくなかった。卒業後は、どこへも勤めず、固く一家を守っている。イプセンを研究している。このごろ「人形の家」をまた読み返し、重大な発見をして、頗《すこぶ》る興奮した。ノラが、あのとき恋をし
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