らを一纏《ひとまと》めにして、いきなり単行本として出版したのである。まずしい創作集ではあったが、私には、いまでも多少の愛着があるのである。なぜなら、その創作集の中の作品は、一様に甘《あま》く、何の野心も持たず、ひどく楽しげに書かれているからである。いわゆる力作は、何だかぎくしゃくして、あとで作者自身が読みかえしてみると、いやな気がしたり等するものであるが、気楽な小曲には、そんな事が無いのである。れいに依《よ》って、その創作集も、あまり売れなかったようであるが、私は別段その事を残念にも思っていない。売れなくて、よかったとさえ思っている。愛着は感じていても、その作品集の内容を、最上質のものとは思っていないからである。冷厳の鑑賞には、とても堪えられる代物《しろもの》ではないのである。謂わば、だらしない作品ばかりなのである。けれども、作者の愛着は、また自《おのずか》ら別のものらしく、私は時折、その甘ったるい創作集を、こっそり机上に開いて読んでいる事もあるのである。その創作集の中でも、最も軽薄で、しかも一ばん作者に愛されている作品は、すなわち、冒頭に於《お》いて述べた入江新之助氏の遺家族から暗示
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