。ラプンツェル、お前は、もう赤ちゃんを産んだのだよ。お母ちゃんになったのだよ。」
 ラプンツェルは、かすかな溜息をもらして、静かに眼をつぶりました。王子は激情の果、いまはもう、すべての表情を失い、化石のように、ぼんやり立ったままでした。
 眼前に、魔法の祭壇が築かれます。老婆は風のように[#「風のように」は底本では「風のよう」]素早く病室から出たかと思うと、何かをひっさげてまた現れ、現れるかと思うと消えて、さまざまの品が病室に持ち込まれるのでした。祭壇は、四本のけものの脚に拠って支えられ、真紅の布で覆われているのですが、その布は、五百種類の、蛇の舌を鞣《なめ》して作ったもので、その真紅の色も、舌からにじみ出た血の色でした。祭壇の上には、黒牛の皮で作られたおそろしく大きな釜《かま》が置かれて、その釜の中には熱湯が、火の気も無いのに、沸々と煮えたぎって吹きこぼれるばかりの勢いでありました。老婆は髪を振り乱しその大釜の周囲を何やら呪文《じゅもん》をとなえながら駈けめぐり駈けめぐり、駈けめぐりながら、数々の薬草、あるいは世にめずらしい品々をその大釜の熱湯の中に投げ込むのでした。たとえば、太古より消える事のなかった高峯の根雪、きらと光って消えかけた一瞬まえの笹の葉の霜《しも》、一万年生きた亀の甲、月光の中で一粒ずつ拾い集めた砂金、竜の鱗《うろこ》、生れて一度も日光に当った事のないどぶ鼠の眼玉、ほととぎすの吐出した水銀、蛍《ほたる》の尻の真珠、鸚鵡《おうむ》の青い舌、永遠に散らぬ芥子《けし》の花、梟《ふくろう》の耳朶《みみたぶ》、てんとう虫の爪、きりぎりすの奥歯、海底に咲いた梅の花一輪、その他、とても此の世で入手でき難いような貴重な品々を、次から次と投げ込んで、およそ三百回ほど釜の周囲を駈けめぐり、釜から立ち昇る湯気が虹のように七いろの色彩を呈して来た時、老婆は、ぴたりと足をとどめ、「ラプンツェル!」と人が変ったような威厳のある口調で病床のラプンツェルに呼びかけました。「母が一生に一度の、難儀の魔法を行います。お前も、しばらく辛抱して!」と言うより早くラプンツェルに躍りかかり、細長いナイフで、ぐさとラプンツェルの胸を突き刺し、王子が、「あ!」と叫ぶ間もなく、痩せ衰えて紙ほど軽いラプンツェルのからだを両手で抱きとって眼より高く差し挙げ、どぶんと大釜の中に投げ込みました。一声かすか
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