た。あそこだけは、よし。
私の家の庭にも、ときたま、蟹が這って来る。君は、芥子《けし》つぶほどの蟹を見たことがあるか。芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っていた。私、あのとき、凝然《ぎょうせん》とした。
わがダンディスム
「ブルウタス、汝《なんじ》もまた。」
人間、この苦汁を嘗《な》めぬものが、かつて、ひとりでも、あったろうか。おのれの最も信頼して居るものこそ、おのれの、生涯の重大の刹那《せつな》に、必ず、おのれの面上に汚き石を投ずる。はっしと投ずる。
さきごろ、友人保田与重郎の文章の中から、芭蕉の佳《よ》き一句を見いだした。「朝がほや昼は鎖《じょう》おろす門の垣。」なるほど、これに限る。けれども、――また、――否。これに限る。これに限る!
「晩年」に就いて
私はこの短篇集一冊のために、十箇年を棒に振った。まる十箇年、市民と同じさわやかな朝めしを食わなかった。私は、この本一冊のために、身の置きどころを失い、たえず自尊心を傷《きずつ》けられて世のなかの寒風に吹きまくられ、そうして、うろうろ歩きまわっていた。数万円の金銭を浪費した。
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