ともウール・シュタンドに近き文士《ぶんし》は、白樺派の公達《きんだち》、葛西《かさい》善蔵、佐藤春夫。佐藤、葛西、両氏に於いては、自由などというよりは、稀代《きたい》のすねものとでも言ったほうが、よりよく自由という意味を言い得て妙なふうである。ダス・ゲマイネは、菊池寛である。しかも、ウール・シュタンドにせよ、ダス・ゲマイネにせよ、その優劣をいますぐここで審判するなど、もってのほかというべきであろう。人ありて、菊池寛氏のダス・ゲマイネのかなしさを真正面から見つめ、論ずる者なきを私はかなしく思っている。さもあらばあれ、私の小説「ダス・ゲマイネ」発表数日後、つぎの如き全く差出人不明のはがきが一枚まい込んで来たのである。

  うつしみに
  きみのゑがきし
  をとめのゑ
  うらふりしけふ
  こころわびしき

 右、春の花と秋の紅葉といずれ美しきという題にて。
                        よみ人しらず。

 名を名乗れ! 私はこの一首のうたのために、確実に、七八日、ただ、胸を焦がさむほどにわくわくして歩きまわっていた。ウール・シュタンドも、ケエベル先生もあったものでな
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