れないように私の勉強ぶりをときたま、ちらっと覗《のぞ》かせてやろうという卑猥《ひわい》な魂胆のようである。

     虚栄の市

 デカルトの「激情論」は名高いわりに面白くない本であるが、「崇敬とはわれに益するところあらむと願望する情の謂《い》いである。」としてあったものだ。デカルトあながちぼんくらじゃないと思ったのだが、「羞恥《しゅうち》とはわれに益するところあらむと願望する情の謂いである。」もしくは、「軽蔑とはわれに益するところあらむと云々《うんぬん》。」といった工合いに手当りしだいの感情を、われに益する云々てう句に填《は》め込んでいってみても、さほど不体裁な言葉にならぬ。いっそ、「どんな感情でも、自分が可愛いからこそ起る。」と言ってしまっても、どこやら耳あたらしい一理窟として通る。献身とか謙譲とか義侠とかの美徳なるものが、自分のためという慾念を、まるできんたまかなにかのようにひたがくしにかくさせてしまったので、いま出鱈目《でたらめ》に、「自分のため」と言われても、ああ慧眼《けいがん》と恐れいったりすることがないともかぎらぬような事態にたちいたるので、デカルト、べつだん卓見を述べ
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