って、以後、気をつけていると、私の家主の六十有余の爺もまた、なんでもものを知っている。植木を植えかえる季節は梅雨時に限るとか、蟻《あり》を退治するのには、こうすればよいとか、なかなか博識である。私たちより四十も多く夏に逢い、四十回も多く花見をし、とにかく、四十回も其の余も多くの春と夏と秋と冬とを見て来たのだ。けれども、こと芸術に関してはそうはいかない。「点三年、棒十年」などというやや悲壮な修業の掟《おきて》は、むかしの職人の無智な英雄主義にすぎない。鉄は赤く熱しているうちに打つべきである。花は満開のうちに眺むべきである。私は晩成の芸術というものを否定している。

     難解

「太初《はじめ》に言《ことば》あり。言は神と偕《とも》にあり。言は神なりき。この言は太初に神とともに在り。万《よろず》の物これに由《よ》りて成り、成りたる物に一つとして之《これ》によらで成りたるはなし。之に生命《いのち》あり。この生命は人の光なりき。光は暗黒《くらき》に照る。而《しか》して暗黒は之を悟らざりき。云々。」私はこの文章を、この想念を、難解だと思った。ほうぼうへ持って廻ってさわぎたてたのである。
 
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