さいお土産はありませんか。」
「そんなご無理をおつしやつたつて、――」
「そんなら帰る。はだしでもかまはない。荷物はごめんだ。」と言つてお爺さんは、本当にはだしのままで、縁の外に飛び出さうとする気配を示した。
「ちよつと待つて、ね、ちよつと。お照さんに聞いて来るわ。」
 はたはたとお鈴さんは奥の間に飛んで行き、さうして、間もなく、稲の穂を口にくはへて帰つて来た。
「はい、これは、お照さんの簪《かんざし》。お照さんを忘れないでね。またいらつしやい。」
 ふと、われにかへる。お爺さんは、竹藪の入口に俯伏して寝てゐた。なんだ、夢か。しかし、右手には稲の穂が握られてある。真冬の稲の穂は珍らしい。さうして、薔薇の花のやうな、とてもよい薫りがする。お爺さんはそれを大事さうに家へ持つて帰つて、自分の机上の筆立に挿す。
「おや、それは何です。」お婆さんは、家で針仕事をしてゐたが、眼ざとくそれを見つけて問ひただす。
「稲の穂。」とれいの口ごもつたやうな調子で言ふ。
「稲の穂? いまどき珍らしいぢやありませんか。どこから拾つて来たのです。」
「拾つて来たのぢやない。」と低く言つて、お爺さんは書物を開いて黙
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