それがいやらしくて仕様が無かつたんですよ。ちやうどいい案配だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまつたのなら、身代りにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ。」掌中の雀の嘴をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゆつとむしり取つた。
 雀は、はたはたと空高く飛び去る。
 お爺さんは、無言で雀の行方を眺めてゐる。
 さうして、その翌日から、お爺さんの大竹藪探索がはじまるわけである。
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シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
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 毎日毎日、雪が降り続ける。それでもお爺さんは何かに憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を捜しまはる。藪の中には、雀は千も万もゐる。その中から、舌を抜かれた小雀を捜し出すのは、至難の事のやうに思はれるが、しかし、お爺さんは異様な熱心さを以て、毎日毎日探索する。
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シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
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 お爺さんにとつて、こんな、がむしやらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かつたやうに見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない気分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん気楽な性格に遭ひ、之を追ひ求める、恋、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、恋、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの気持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
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シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
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 まさか、これを口に出して歌ひながら捜し歩いてゐたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのやうにひそひそ囁き、さうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その変てこな歌ともお念仏ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を蹈みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、といふやうな工合ひなのである。
 或る夜、この仙台地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらゐの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴をはいて、相も変らず竹藪をさまよひ歩き、
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シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
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 竹に積つた大きい雪のかたまりが、突然、どさりとお爺さんの頭上に落下し、打ちどころが悪かつたのかお爺さんは失神して雪の上に倒れる。夢幻の境のうちに、さまざまの声の囁きが聞えて来る。
「可愛さうに、たうとう死んでしまつたぢやないの。」
「なに、死にやしない。気が遠くなつただけだよ。」
「でも、かうしていつまでも雪の上に倒れてゐると、こごえて死んでしまふわよ。」
「それはさうだ。どうにかしなくちやいけない。困つた事になつた。こんな事にならないうちに、あの子が早く出て行つてやればよかつたのに。いつたい、あの子は、どうしたのだ。」
「お照さん?」
「さう、誰かにいたづらされて口に怪我をしたやうだが、あれから、さつぱりこのへんに姿を見せんぢやないか。」
「寝てゐるのよ。舌を抜かれてしまつたので、なんにも言へず、ただ、ぽろぽろ涙を流して泣いてゐるわよ。」
「さうか、舌を抜かれてしまつたのか。ひどい悪戯をするやつもあつたものだなあ。」
「ええ、それはね、このひとのおかみさんよ。悪いおかみさんではないんだけれど、あの日は虫のゐどころがへんだつたのでせう、いきなり、お照さんの舌をひきむしつてしまつたの。」
「お前、見てたのかい?」
「ええ、おそろしかつたわ。人間つて、あんな工合ひに出し抜けにむごい事をするものなのね。」
「やきもちだらう。おれもこのひとの家の事はよく知つてゐるけれど、どうもこのひとは、おかみさんを馬鹿にしすぎてゐたよ。おかみさんを可愛がりすぎるのも見ちやをられないものだが、あんなに無愛想なのもよろしくない。それをまたお照さんはいいことにして、いやにこの旦那といちやついてゐたからね。まあ、みんな悪い。ほつて置け。」
「あら、あなたこそ、やきもちを焼いてゐるんぢやない? あなたは、お照さんを好きだつたのでせう? 隠したつてだめよ。この大竹藪で一ばんの美声家はお照さんだつて、いつか溜息をついて言つてたぢやないの。」
「やきもちを焼くなんてそんな下品な事をするおれではない。が、し
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