かし、少くともお前よりはお照のはうが声が佳くて、しかも美人だ。」
「ひどいわ。」
「喧嘩はおよし、つまらない。それよりも、このひとを、いつたいどうするの? ほつて置いたら死にますよ。可哀想に。どんなにお照さんに逢ひたいのか、毎日毎日この竹藪を捜して歩いて、さうしてたうとうこんな有様になつてしまつて、気の毒ぢやないの。このひとは、きつと、実《じつ》のあるひとだわ。」
「なに、ばかだよ。いいとしをして雀の子のあとを追ひ廻すなんて、呆れたばかだよ。」
「そんな事を言はないで、ね、逢はしてあげませうよ。お照さんだつて、このひとに逢ひたがつてゐるらしいわ。でも、もう舌を抜かれて口がきけないのだからねえ、このひとがお照さんを捜してゐるといふ事を言つて聞かせてあげても、藪のあの奥で寝たまま、ぽろぽろ涙を流してゐるばかりなのよ。このひとも可哀想だけれども、お照さんだつて、そりや可哀想よ。ね、あたしたちの力で何とかしてあげませうよ。」
「おれは、いやだ。おれはどうも色恋の沙汰には同情を持てないたちでねえ。」
「色恋ぢやないわ。あなたには、わからない。ね、みなさん、何とかして逢はせてあげたいものだわねえ。こんな事は、理窟ぢやないんですもの。」
「さうとも、さうとも。おれが引受けた。なに、わけはない。神さまにたのむんだ。理窟抜きで、なんとかして他の者のために尽してやりたいと思つた時には、神さまにたのむのが一ばんいいのだ。おれのおやぢがいつかさう言つて教へてくれた。そんな時には神さまは、どんな事でも叶へて下さるさうだ。まあ、みんな、ちよつとここで待つてゐてくれ。おれはこれから、鎮守の森の神さまにたのんで来るから。」
 お爺さんが、ふつと眼の覚めたところは、竹の柱の小綺麗な座敷である。起き上つてあたりを見廻してゐると、すつと襖があいて、身長二尺くらゐのお人形さんが出て来て、
「あら、おめざめ?」
「ああ、」とお爺さんは鷹揚に笑ひ、「ここはどこだらう。」
「すずめのお宿。」とそのお人形さんみたいな可愛い女の子が、お爺さんの前にお行儀よく坐り、まんまるい眼をぱちくりさせて答へる。
「さう。」とお爺さんは落ちついて首肯き、「お前は、それでは、あの、舌切雀?」
「いいえ、お照さんは奥の間で寝てゐます。私は、お鈴。お照さんとは一ばんの仲良し。」
「さうか。それでは、あの、舌を抜かれた小雀の名は、お照といふの?」
「ええ、とても優しい、いいかたよ。早く逢つておあげなさい。可哀想に口がきけなくなつて、毎日ぽろぽろ涙を流して泣いてゐます。」
「逢ひませう。」とお爺さんは立ち上り、「どこに寝てゐるのですか。」
「ご案内します。」お鈴さんは、はらりと長い袖を振つて立ち、縁側に出る。
 お爺さんは、青竹の狭い縁を滑らぬやうに、用心しながらそつと渡る。
「ここです、おはひり下さい。」
 お鈴さんに連れられて、奥の一間にはひる。あかるい部屋だ。庭には小さい笹が一めんに生え繁り、その笹の間を浅い清水が素早く流れてゐる。
 お照さんは小さい赤い絹布団を掛けて寝てゐた。お鈴さんよりも、さらに上品な美しいお人形さんで、少し顔色が青かつた。大きい眼でお爺さんの顔をじつと見つめて、さうして、ぽろぽろと涙を流した。
 お爺さんはその枕元にあぐらをかいて坐つて、何も言はず、庭を走り流れる清水を見てゐる。お鈴さんは、そつと席をはづした。
 何も言はなくてもよかつた。お爺さんは、幽かに溜息をついた。憂鬱の溜息ではなかつた。お爺さんは、生れてはじめて心の平安を経験したのだ。そのよろこびが、幽かな溜息となつてあらはれたのである。
 お鈴さんは静かにお酒とお肴を持ち運んで来て、
「ごゆつくり。」と言つて立ち去る。
 お爺さんはお酒をひとつ手酌で飲んで、また庭の清水を眺める。お爺さんは、所謂お酒飲みではない。一杯だけで、陶然と酔ふ。箸を持つて、お膳のたけのこを一つだけつまんで食べる。素敵においしい。しかし、お爺さんは、大食ひではない。それだけで箸を置く。
 襖があいて、お鈴さんがお酒のおかはりと、別な肴を持つて来る。お爺さんの前に坐つて、
「いかが?」とお酒をすすめる。
「いや、もうたくさん。しかし、これは、よいお酒だ。」お世辞を言つたのではない。思はず、それが口に出たのだ。
「お気に召しましたか。笹の露です。」
「よすぎる。」
「え?」
「よすぎる。」
 お爺さんとお鈴さんの会話を寝ながら聞いてゐて、お照さんは微笑んだ。
「あら、お照さんが笑つてゐるわ。何か言ひたいのでせうけれど。」
 お照さんは首を振つた。
「言へなくたつて、いいのさ。さうだね?」とお爺さんは、はじめてお照さんのはうを向いて話かける。
 お照さんは、眼をぱちぱちさせて、嬉しさうに二三度うなづく。
「さ、それでは失礼しよう。また来る。」
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