なつてゐるやうであるが、
[#ここから2字下げ、ゴシック体]
カゴノナカノ スズメ
[#ここで字下げ終わり]
と言つて、ことさらに籠の小鳥を雀と限定してゐるところ、また、デハルといふ東北の方言が何の不自然な感じも無く挿入せられてゐる点など、やはりこれは仙台地方の民謡と称しても大過ないのではなからうかと私には思はれた。
このお爺さんの草庵の周囲の大竹藪にも、無数の雀が住んでゐて、朝夕、耳を聾せんばかりに騒ぎ立てる。この年の秋の終り、大竹藪に霰が爽やかな音を立てて走つてゐる朝、庭の土の上に、脚をくじいて仰向にあがいてゐる小雀をお爺さんは見つけ、黙つて拾つて、部屋の炉傍に置いて餌を与へ、雀は脚の怪我がなほつても、お爺さんの部屋で遊んで、たまに庭先へ飛び降りてみる事もあるが、またすぐ縁にあがつて来て、お爺さんの投げ与へる餌を啄み、糞をたれると、お婆さんは、
「あれ汚い。」と言つて追ひ、お爺さんは無言で立つて懐紙でその縁側の糞をていねいに拭き取る。日数の経つにつれて雀にも、甘えていい人と、さうでない人との見わけがついて来た様子で、家にお婆さんひとりしかゐない時には、庭先や軒下に避難し、さうしてお爺さんがあらはれると、すぐ飛んで来て、お爺さんの頭の上にちよんと停つたり、またお爺さんの机の上をはねまはり、硯の水をのどを幽かに鳴らして飲んだり、筆立の中に隠れたり、いろいろに戯れてお爺さんの勉強の邪魔をする。けれども、お爺さんはたいてい知らぬ振りをしてゐる。世にある愛禽家のやうに、わが愛禽にへんな気障つたらしい名前を附けて、
「ルミや、お前も淋しいかい。」などといふ事は言はない。雀がどこで何をしようと、全然無関心の様子を示してゐる。さうして時々、黙つてお勝手から餌を一握り持つて来て、ばらりと縁側に撒いてやる。
その雀が、いまお婆さんの退場後に、はたはたと軒下から飛んで来て、お爺さんの頬杖ついてゐる机の端にちよんと停る。お爺さんは少しも表情を変へず、黙つて雀を見てゐる。このへんから、そろそろこの小雀の身の上に悲劇がはじまる。
お爺さんは、しばらく経つてから一言、「さうか。」と言つた。それから深い溜息をついて、机上に本をひろげた。その書物のペエジを一、二枚繰つて、それからまた、頬杖をついてぼんやり前方を見ながら、「洗濯をするために生れて来たのではないと言ひやがる。あれでも、まだ、色気があると見える。」と呟いて、幽かに苦笑する。
この時、突然、机上の小雀が人語を発した。
「あなたは、どうなの?」
お爺さんは格別おどろかず、
「おれか、おれは、さうさな、本当の事を言ふために生れて来た。」
「でも、あなたは何も言ひやしないぢやないの。」
「世の中の人は皆、嘘つきだから、話を交すのがいやになつたのさ。みんな、嘘ばつかりついてゐる。さうしてさらに恐ろしい事は、その自分の嘘にご自身お気附きになつてゐない。」
「それは怠け者の言ひのがれよ。ちよつと学問なんかすると、誰でもそんな工合に横着な気取り方をしてみたくなるものらしいのね。あなたは、なんにもしてやしないぢやないの。寝てゐて人を起こすなかれ、といふ諺があつたわよ。人の事など言へるがらぢや無いわ。」
「それもさうだが、」とお爺さんはあわてず、「しかし、おれのやうな男もあつていいのだ。おれは何もしてゐないやうに見えるだらうが、まんざら、さうでもない。おれでなくちや出来ない事もある。おれの生きてゐる間、おれの真価の発揮できる時機が来るかどうかわからぬが、しかし、その時が来たら、おれだつて大いに働く。その時までは、まあ、沈黙して、読書だ。」
「どうだか。」と雀は小首を傾け、「意気地無しの陰弁慶に限つて、よくそんな負け惜しみの気焔を挙げるものだわ。廃残の御隠居、とでもいふのかしら、あなたのやうなよぼよぼの御老体は、かへらぬ昔の夢を、未来の希望と置きかへて、さうしてご自身を慰めてゐるんだわ。お気の毒みたいなものよ。そんなのは気焔にさへなつてやしない。変態の愚癡よ。だつて、あなたは、何もいい事をしてやしないんだもの。」
「さう言へば、まあ、そんなものかも知れないが、」と老人はいよいよ落ちついて、「しかし、おれだつて、いま立派に実行してゐる事が一つある。それは何かつて言へば、無慾といふ事だ。言ふは易くして、行ふは難いものだよ。うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連添うて来たのだから、いい加減に世間の慾を捨ててゐるかと思つてゐたら、どうもさうでもないらしい。まだあれで、何か色気があるらしいんだね。それが可笑しくて、ついひとりで噴き出したやうな次第だ。」
そこへ、ぬつとお婆さんが顔を出す。
「色気なんかありませんよ。おや? あなたは、誰と話をしてゐたのです。誰か、若い娘さんの声がしてゐましたがね。あのお
前へ
次へ
全37ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング