おさん
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)後仕末《あとしまつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十|坪《つぼ》くらいの畑地があって、
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        一

 たましいの、抜けたひとのように、足音も無く玄関から出て行きます。私はお勝手で夕食の後仕末《あとしまつ》をしながら、すっとその気配を背中に感じ、お皿を取落すほど淋《さび》しく、思わず溜息《ためいき》をついて、すこし伸びあがってお勝手の格子窓《こうしまど》から外を見ますと、かぼちゃの蔓《つる》のうねりくねってからみついている生垣《いけがき》に沿った小路を夫が、洗いざらしの白浴衣《しろゆかた》に細い兵古帯《へこおび》をぐるぐる巻きにして、夏の夕闇に浮いてふわふわ、ほとんど幽霊のような、とてもこの世に生きているものではないような、情無い悲しいうしろ姿を見せて歩いて行きます。
「お父さまは?」
 庭で遊んでいた七つの長女が、お勝手口のバケツで足を洗いながら、無心に私にたずねます。この子は、母よりも父のほうをよけいに慕《した》っていて、毎晩六畳に父と蒲団《ふとん》を並べ、一つ蚊
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