おろし、とてもいらいらしているように顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふいと一言、
「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら。」
 と呟《つぶや》きました。
 玄関の前の百日紅《さるすべり》は、ことしは花が咲きませんでした。
「そうなんでしょうね。」
 私もぼんやり答えました。
 それが、夫と交した最後の夫婦らしい親しい会話でございました。
 雨がやんで、夫は逃げるようにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。
 それから、諏訪の宿から出した夫の手紙も私は、受取りました。
「自分がこの女の人と死ぬのは、恋のためではない。自分は、ジャーナリストである。ジャーナリストは、人に革命やら破壊やらをそそのかして置きながら、いつも自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いている。実に奇怪な生き物である。現代の悪魔である。自分はその自己嫌悪に堪《た》えかねて、みずから、革命家の十字架にのぼる決心をしたのである。ジャーナリストの醜聞《しゅうぶん》。それはかつて例の無かった事ではあるまいか。自分の死が、現代の悪魔を少しでも赤面させ反省させる事に役立ったら、
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